新宿区の紹介

区の紋章・花・木

区の紋章[1967年3月制定]

古来から堅実さを表すといわれている菱形を原型に、新宿の「新」の一字を一筆で勢いよく描いたもので、新宿が将来に向かってますます堅実に発展していく意を表現するものです。

新宿区の花[1972年10月制定]

つつじ
つつじは、江戸時代から昭和初期まで大久保通りの周辺が名所で、見物用臨時列車が運転されたこともありました。

新宿区の木[1972年10月制定]

けやき
けやきは、武蔵野を代表する木で、新宿区内で最もよく見かけることのできる木の一つです。

位置・面積

新宿区は東京23区のほぼ中央に位置し、千代田・港・文京・豊島・中野・渋谷の各区にそれぞれ隣接しています。区役所本庁舎(歌舞伎町1-4-1)の位置は、北緯35度41分26秒、東経139度42分23秒にあたります。面積は18.22平方キロメートル、周囲約29.4km、東西約6.5km、南北約6.3kmで、23区中13番目の広さです(荒川河口部と中央防波堤埋立地を含む23区部の面積の合計は、627.53平方キロメートルです)。

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地勢

地形は台地と低地からなり、豊島台地、淀橋台地、下町低地に分けられます。豊島・淀橋台地は四谷・牛込・角筈・柏木・大久保・戸塚・落合などの台地からなり、各台地の間に下町低地が入り組んでいます。

区内最高地点は、都立戸山公園内箱根山の標高44.6m。台地は、平均ほぼ30mの高台で、低地で最も低いのは飯田橋付近の4.2mです。ちなみに新宿区役所の標高は32.55mです。

台地部の地層は、地表から関東ローム層・武蔵野砂れき層・東京層があり、低地部は、埋土の下に沖積層・東京層があって、台地部・低地部とも東京層の下にさらに三浦層群が広がっています。

区名の由来

江戸に幕府が開かれた1603年の翌年に、日本橋を起点として五街道が定められました。東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道で、各街道にはそれぞれ一定数の宿が置かれ、宿は伝馬を提供する義務が課せられていました。

甲州街道は日本橋から甲府に至る幹線で、甲府から中山道の下諏訪まで連絡していました。甲州街道は、日本橋から最初の宿場、高井戸までの距離が長く、旅人が難儀していました。そこで、名主・高松喜六らの願いにより、その中間にあたる地に宿場の設置が認められました。この宿場は、内藤氏が幕府に返上した屋敷地に置かれたことと、新しい宿の意味から「内藤新宿」と呼ばれ、新宿の地名の起こりとなりました。

1947年3月15日、旧四谷・牛込・淀橋の3区が統合し、新宿区として発足しましたが、この名称は歴史的な由来のほか、新宿御苑や新宿駅が全国的にも有名であり、普遍的であるとして採用されたものです。

旧3区の名前の由来からその歴史をたどってみると

【四谷】
もとは武蔵野の荒野で、現在の四谷四丁目交差点の辺りは左右とも谷でやぶが深く、一筋の道があるだけでした。そして、旅人の休む4軒の茶屋があり、この四つの茶屋が転じて四谷の地名が起こったといわれています。

【牛込】
「込」は多く集まるという意味があり、大昔、この地一帯にたくさんの牛が放牧されていたので、この名が起きたといわれています。上野国(現在の群馬県)の大胡氏が移ってこの地に住み、1555年、牛込氏を名乗りました。牛込氏は小田原の北条氏に属し、牛込から日比谷辺りまでを領有し、その居城は袋町一帯の高台にありました。牛込氏の墓は現在も宗参寺(弁天町1)にあります。

【淀橋】
成子村と中野村の間を流れる神田川に掛かっている橋を餘戸、あるいは四所橋と呼び、これから転じたものか、また、寛永年間(1624〜44年)に3代将軍家光が橋のそばで休息したおり、川の流れがよどんで見えるから淀橋にせよといったとか、さらに1720〜30年頃8代将軍吉宗が山城国(現在の京都)淀にその景色が似ているので名づけたとか、そのほかいろいろの説があり、いずれも橋の名からその地名が生まれたようです。